4月24日(火)
昨日の興奮が冷めないまま、午前中は通常どおりキュウリの収穫、箱詰めをしました。昨日のことがまるで夢のようです。
5月4日(金)
紹介VTRの撮影に、ディレクターのIさん、ADのNさんが群馬の福地宅を訪れました。朝8:00から、まずキュウリのビニールハウスで収穫風景(実際のオンエアでキュウリをポキッと折って、ポリッと食べるシーンも含む)、そしてそのまま箱詰め作業を撮影しました。箱詰めが終わるまでは、スタッフだけで周囲の風景撮影や次の撮影ポイント探しをしていたようです。
キュウリの仕事が一段落ついたので、1,000万円の夢である「大型コンバインの購入」に関連して、現在の所有しているコンバインを見てもらいました。私としては、このコンバインを背景にして、例の「大型コンバインを買うぞー!」シーンを撮ってもらおうと思っていたのですが、Iさん曰く「何だこれは!でけえ〜。サンダーバードみたいだね。・・・・・・これじゃ大型コンバインを買いたいという福地さんの気持ちが視聴者にうまく伝わらないんじゃないのお。」ということでボツとなりました。使った日ごとにきれいに水洗いしているからそんなに古く見えないけど、もう10年くらい使っているんだけどなあ・・・。
続いて田んぼの様子をチェックしながらあぜ道を歩くシーン。リハーサルも何度もして、同じシーンを角度を変えたりして10回くらいは撮ったでしょうか・・・。ここはちょっとした映画の撮影のような緊張感がありました。でも結局ここもオンエアではボツ。
次は家族で一家団欒の昼食風景。にこやかに笑って話し合いをするように、と演出されるものの、意識しすぎると余計に寡黙になってしまい、黙々とご飯を食べてしまいました。それに母はちらちらとカメラ目線になって注意されるし、父はさっさと茶碗を空っぽにしちゃうし・・・。ここもオンエアでは編集カットされてました。
午後1時になり、ここで撮影を一時中断し、スタッフは食事に出かけ、私はキュウリの出荷に行きました。2時から再開された撮影は、大きい方のキュウリハウスでの作業風景、そして背景に田んぼしか見えない田んぼのど真ん中での「大型コンバインを買うぞー!」シーンとなりました。何撮ってんだあ?くらいの感じでトラクターからのぞき込んでいく人がいたりして、ちょっと大声張り上げるのが恥ずかしかったです。
最後にトラクターであぜぬり作業をしているシーンを撮影して、全撮影が終了しました。Iさん、Nさんの計らいで、フジテレビやクイズ$ミリオネアのグッズを多数いただきました(これはテレフォンブレーンやその他番組出演に際してお世話になった方々に配りました)。私からはスタッフの皆さんに心ばかりですがコシヒカリ半俵とキュウリ1箱を差し上げました。こうしてIさん、Nさんは「ファイナルアンサー?」と車の中から叫びながら群馬を去っていきました。
この日の夜は、テレフォンブレーンとして参加していただいた、就農前に勤めていた会社の先輩であるSさん、Oさんを招いて、「お礼の会」「100万円お祝い会」と称して、焼き肉屋で食事をしました。そして感謝の意を込めて、今日もらったフジテレビグッズとともに、米とキュウリを贈らせていただきました。
5月10日(木)
とうとうオンエアの日を迎えました。いつもより早く食事と風呂を済ませ、ビデオをセットし、テレビの前にスタンバイしました。結果は充分わかっているものの、どのように編集されているかなど楽しみもあり、かなりワクワクしました。
編集された放映時間は次の通り。内容についてはステップ7をご覧ください。
|
|
|
プロローグ |
|
|
家永さん |
|
|
補欠1人目紹介 |
|
|
宮本さん |
|
|
補欠2人目紹介 |
|
|
福地 |
|
|
エピローグ |
|
実際の収録時間の割には、長くオンエアされたのではないでしょうか。オンエアされた問題(第6、9〜12問)以外は、間髪入れずに即答していたのですが、すべてカットされていました。自分としては「福地おまぬけ集」としてよく編集されているなあと思いました。これなら確実に笑いと視聴率がとれるなあと自負しております。
放送終了後から2〜3日は、家の電話が鳴り続けました。親戚から近所の方々、高校時代の友人(卒業以来会ってない人も)、大学時代の恩師の奥さんや友人、勤めていた会社の上司、小学校前の文房具屋のおばちゃんなどなど、本当にたくさんの方々から祝福のお電話をいただきました。また電子メール、このサイトの掲示板でもたくさんの方々から反応があり、たいへん驚きました。テレビの影響は本当にすごいもんです。この場を借りてもう一度「ありがとうございました」と皆様にお礼を述べたいと思います。
ここからは私の好きなNHKのテレビ番組「プロジェクトX 挑戦者たち」風に、登場人物のその後の人生のドラマ(大げさ?)を見ていきたいと思います。ナレーションは田口トモロヲ、BGMには中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を思い浮かべてください。
クイズ$ミリオネアが放映された後、福地は以前と変わらず朝からキュウリの収穫を毎日した。箱詰めして、それを出荷した。田植えも始まり、忙しさに埋没する毎日だった。「あなたの人生を変えるかもしれない クイズ$ミリオネア」・・・・しかし表面上は福地本人の人生は何も変わらなかった。変わったことといえば、田んぼや出荷センターなど人が集まる場所で、知らない人からも「テレビに出てたね。観たよ!」とよく声をかけられるようになったことくらいだった。しかし変化の胎動はすでに小さく始まっていた・・・。
父は、息子のミリオネア参加に刺激されたからかどうかは定かでないが、未知への挑戦でパソコン教室に通うことを決意した。当初ミリオネア参加にあまり賛成していなかった母は、今ではラジオのクイズコーナーがあると、次はこれに応募しろと勧めるようになった。テレフォンブレーンで参加した叔母の一家は、家族揃ってクイズ$ミリオネアに電話応募している。
テレフォンブレーンの他の2人、SさんとOさんは、あまり会社の人には事前に宣伝していなかったそうだが、次の日にはバレバレだった。Oさんはお礼にもらった米がうまかったらしく、それをきっかけにして今では福地農園の常連のお客様になった。
ある日、クイズ$ミリオネアの製作会社日本テレワークから写真が送られてきた。最終選考会後にディレクターのWさんに提出した参考写真の返還だった。中に一通の手紙が同封されていた。
福地博光様 先日はクイズ&ミリオネアの収録に参加していただき本当にありがとうございました。
|
そして、それから数週間かした後、福地の家の電話が鳴った。日本テレワークのOディレクターだった。
Oさん: 「現在、クイズ$ミリオネアで農業をしている方の参加者を捜しておりまして、福地さんが盛り上げてくれたお礼の意味を込めて、福地さんにキャラのいい人を推薦してもらいたいんですよ。推薦してもらった方は、いきなり最終選考会に進むということで・・・。また、もし人数が15人くらい集まるようならそちらで出張選考会をしてもいいんですけど。」 福地: 「わかりました。声かけてみます。」
そして6月23日に本当にJA群馬板倉の本所で、出張選考会が開かれた。約20人が参加した。この中から何人かが番組に出場するだろう。もしセンターシートに座ったら、今度は板倉町の農業についても少し紹介してくれると約束してくれた。福地の時は、町の名さえ出なかった・・・。それが唯一の心残りだった。
福地は自分のクイズ$ミリオネア出場をきっかけにして、このような広がりをみせるとは夢にも思っていなかった。たしかに番組出場を通して、多くの人とこれまでにない接する機会を得た。椎間板ヘルニアで片足を引きずりながらもスタジオ応援に来てくれた父。苦手なテレフォンを何度も何度も一緒に練習してくれた母。不確かなスケジュールでもテレフォン参加に同意してくれた先輩たちと叔母。FAXを快く貸してくれた親戚や自動車整備工場の方たち。全般に渡って事細かに対応してくれ、収録現場ではつまらないダジャレにも大笑いして雰囲気をつくってくれたスタッフ。収録の休憩中に「あなたを応援したくなりました」と言ってくれ緊張を解きほぐしてくれたみのもんた氏。お祝いの電話や電子メール、掲示板への書き込みをしてくれたたくさんの方々。板倉選考会実現のため奔走してくれた農業の先輩たち。様々な人々が福地を応援した。
福地は100万円とかのお金に換えられない大事なモノを得たと実感した。「人生が変わる」とは億万長者になることではなく、人と人とのつながりを再確認できたことであった。その意味で、福地の人生は確かに変わっていた・・・。
そう、まだ終わりません。クイズ$ミリオネア福地流家元として、これからミリオネアに挑戦したい人たちを支援する福地流ミリオネア道場を起ち上げました。どうぞご覧ください! |
|
|
|
|